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沖縄でのカジノ開設の可能性③-全4回

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更新日:2018年6月14日

翁長知事の誕生

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野田政権の長いレームダックの期間を経て、2012年12月に衆議院総選挙が行われ、第二次安倍内閣が成立した。自民党の沖縄県連とその候補者は、県外移設を主張して選挙戦を戦ったが、選挙後に石破茂幹事長をはじめとする党幹部の圧力に屈して、自民党所属の当選者たちは県外移設の主張を撤回した。衆院選の具体的な日程が挙がっていた同年10月には、「欠陥機」として県内マスコミより批判を受けていたオスプレイ(MV22)の普天間基地への配備が始まった。県紙「琉球新報」は2012年の「十大ニュース」のトップに「オスプレイ強行配備」を選んでいる。翌2013年にも年の瀬まで、辺野古移設をすすめたい日本政府と県外移設を求める沖縄県の対立は膠着状態にあった。関係大臣との沖縄政策協議会に出席するため上京していた仲井眞知事は12月17日より、腰から足にかけて痛みがあるとして都内の病院に入院した。この入院中に仲井眞知事は、菅義偉官房長官をはじめとする日本政府要人と密かに会談を行っていたことが後に明らかになる。ここで沖縄の普天間基地返還・辺野古移設問題は、1995年の少女暴行事件、2009年の「最低でも県外」発言に次いで、3回目となるターニング・ポイントを迎えることになる。国際政治学者の宮城大蔵氏とジャーナリストの渡辺豪氏は、この仲井眞知事の「豹変」の瞬間を次のように記述する。「2013年も押しつまった12月25日、安倍晋三首相との会談を終えた仲井真知事は、足腰に痛みがあるとして車いすに座ったまま記者団の取材に応じ、『有史以来の予算』『いろいろと驚くべき立派な内容をご提示いただいた』と顔をほころばせながら政府を絶賛する言葉を並べ、『良い正月になるなあ』とまで口にした。車に乗り込んだ後、仲井真は窓から笑顔で『ハブ・ア・ナイス・バケーション』と言いながら記者団に手を振った。」(2016『普天間・辺野古 歪められた20年』集英社)。少なくとも報道関係者には、仲井眞知事による辺野古移設容認への「豹変」は、「有史以来」の沖縄振興予算と引き換えになされたものと受け止められ、県内各紙はそのように県民に報じた。


2012年12月に発足した第二次安倍政権による「アベノミクス」と称されることになる一連の経済政策は肯定的な評価を受けるなど、政権は民主党政権後の経済と外交の立て直しを推し進めていた。鋭い政治的洞察力を持つ仲井眞知事の目には、安倍政権が歴史的な長期政権を保持する未来が見えていたのかもしれない。だが、すでにこの頃から安倍政権は、「強引」「強権的」という批判を一部マスコミから受けるようになっていた。2013年12月27日、辺野古新基地建設をすすめるうえでの重要なステップとなっていた辺野古沖公有水面埋め立てを、仲井眞知事は許可した。ただこの手続きは年末、しかも公務終了後の深夜に密かに行われた。このような手続きの進め方は、反対派に「反対する新たな根拠」を供給することになった。既述したように、仲井眞政権下では、沖縄ではIR・カジノを導入する準備が官民ですすめられていた。仲井眞知事による辺野古移設容認の手続きが「豹変」と捉えられるようなやり方でなされたことによって、仲井眞知事の政策の多くが否定的な色眼鏡を通して評価されるようになっていた。また、返還後の普天間基地跡地がIRの有力な候補地のひとつとして挙げられていたことも、振興費を増額することによって沖縄に基地を押し付けようとする日本政府の政治姿勢に対して「否」の声を上げた沖縄県民にとってIRを拒否する理由となった。


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 2014年11月の県知事選挙では、現職の仲井眞氏が敗れ、新人の翁長氏が勝利した。2009年8月の国政選挙による政権交代以降、沖縄では普天間基地の返還と辺野古への移設が最大の政治的争点となっていた。鳩山首相に始まる民主党政権の迷走こそが、普天間基地の返還が遅れた最大の原因として指摘することもできるはずだが、「最低でも県外」に期待した沖縄県民のなかには、民主党政権の不甲斐なさや未熟さに失望するよりも、民主党から政権を奪取した自民党政権を伝統的な認識枠組みにある「ウチナー」の対立概念となる「ヤマト」とオーバーラップさせて反感を覚えた人も多かったのではないか。


翁長知事は、「最低でも県外」という県民の希望をうまく汲んで知事選に勝利したと言える。知事選の選挙公約では、仲井眞氏は普天間基地の一日も早い返還を強調したのに対して、翁長氏は普天間基地の基地機能の移転先として国外あるいは「最低でも県外」を主張した。すなわち、初期の民主党政権が掲げた政治目標の堅持を訴えたのである。翁長氏は、「まずは普天間の返還」を訴えた仲井眞氏の主張との相違点を際立たせるために、日米両政府が辺野古への移設計画を放棄しないのであれば、県は普天間の返還を望まないことを訴えた。翁長政権による「辺野古移設計画の断念」と「普天間返還」のリンクは、その二期目が最終盤にかかろうとする現時点においても解かれていない。

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