沖縄でのカジノ開設の可能性④-全4回

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更新日:2018年6月28日

翁長政権の特徴

 翁長政権の特徴として、普天間基地の返還と辺野古移設計画の断念を密接不可分な2つで1つの政策であると位置づけたことのほかに、復帰後の沖縄県政における保守と革新の分断を無効にし、さらには県と市町村、政界と経済界の垣根を越えた「オール沖縄」を組織したことがある。翁長氏は那覇市長への就任まで、自民党県連の幹事長を務め、稲嶺、仲井眞両知事の選挙運動の指揮もしていた。2012年9月に普天間基地へのオスプレイ配備に抗議する県民大会が実施されたが、その中心的な役割を担った翁長市長は保革の枠を越えた超党派の運動であることを示すために「オール沖縄」の名称を用いた。2013年9月には県内の全41市町村長が、オスプレイの配備撤回と普天間基地の即時使用停止・県内移設の断念を安倍首相と政府に求め建白書を直接提出する「東京要請行動」を実施している。


2014年11月の知事選で翁長氏は、県民大会、東京要請行動といった全権規模での運動を組織してきた実績を意識して「オール沖縄」の枠組みで支持者を固めた。知事選では、自民党県連こそ「オール沖縄」を脱退して仲井眞氏を支持したが、県政での連立与党の公明党県連は仲井眞氏を支持せず自主投票とした。また県知事選では経済界から、大手観光業のかりゆしグループと小売り・建設大手の金秀グループが翁長氏の支持を表明し、「オール沖縄」に加盟した。この知事選が復帰後初めての保革対立を構図としない選挙戦となった。


 保革、県と市町村、政界と経済界の枠組みを越えて、オスプレイ配備撤回、普天間基地の県外移設、辺野古新基地の建設拒否という目的で大同団結したのが「オール沖縄」である。それゆえ「オール沖縄」に対する評価は、これらの目的を達成することができたかどうかによってなされることになる。本稿準備中の2018年6月現在、翁長県政となって3年半が経過したが、オスプレイは普天間基地に固定、時には嘉手納基地にも飛来し、米軍によって普天間基地の使用期限が切られる兆候はまったく無い。辺野古新基地の建設中止を求めて県は、国が進める工事の違法性や正当性の不在を裁判所に訴えたが、司法はこれまで、県の訴えをことごとく退けてきた。翁長知事はともかく、「オール沖縄」はこれまで、掲げた政治目標に対して何ら具体的な成果を挙げえていないと評価せざるを得ない。


危ぶまれる再選

 沖縄県では2018年が「選挙イヤー」となっている。沖縄県では統一地方選挙が他県より1年早い周期で実施されてきたためである。知事選、市町村の首長選に、議会議員の選挙をあわせると、2018年には1年間に県内で51の選挙が行われる予定となっている。最大の焦点は当然ながら、翁長知事が2期目となる再選を目指す県知事選挙である。県知事選は11月後半に予定されているため、それまでの選挙が「オール沖縄」と翁長県政への評価を示す前哨戦として位置づけられる。


 2013年の「東京要請行動」では、県内全41市町村の首長が揃って上京し、「オール沖縄」としての結束を示したが、2017年1月の宮古島市長選、同年2月の浦添市長選、同年4月のうるま市長選など、首長選での相次ぐ敗北などによって「オール沖縄」から脱退する市町村がすでに増えていた。「オール沖縄」という看板が持つ訴求力の衰えを明確に示すことになったのが、選挙イヤー2018年の2月にあった名護市長選挙であった。市内辺野古地区への基地機能の移設と新基地の建設反対を一貫して掲げてきた現職の稲嶺進氏が、自民、公明、維新の推薦を受け、名護市の経済振興に争点を絞って訴えた新人の渡具知武豊氏に敗れたのである。「オール沖縄」の象徴的な中心人物のひとりであった稲嶺氏と、国政与党が閣僚や党の重要ポストにある大物政治家を新人の応援に次々と送り込んだこの選挙は、中央のマスコミによって翁長知事と安倍総理の代理戦争と見なされた。そこで稲嶺氏が敗れたことは、翁長知事の求心力が確実に弱まっていることを世間に示した。5月の沖縄市長選でも、「オール沖縄」の推す新人候補が、自民、公明、維新推薦の現職候補に敗れた。残す年内の市長選挙は、11月の豊見城市と那覇市のみである。特に那覇市の市長選は、那覇市が県最大の大票田かつ県都であるという象徴的な意味合いにとどまらない。那覇市では、翁長氏が前市長を務め、また市内の真和志地区がその出身地でもある。ここで「オール沖縄」の候補者が敗れるようなことがあれば、「オール沖縄」は市町村という主要な構成母体を決定的に失ったと評価されることになり、その選挙結果は、ほぼ同時期に予定されている県知事選に直接の影響を与えることになるだろう。また、名護市長選の直後には金秀グループが、沖縄市長選のあった4月にはかりゆしグループが「オール沖縄」からの脱退を表明しており、経済界からの「オール沖縄」への参画はすでに限定的なものとなっている。


 復帰後の歴代沖縄県知事を振り返ると、革新系の屋良朝苗、平良幸市、保守系の西銘順治、革新系の大田昌秀、保守系の稲嶺惠一、仲井眞弘多と、自民党の日本中央政府寄り保守系知事と、社会民主党、沖縄社会大衆党、日本共産党などからの支持を受け、日本中央政府とはしばしば対立する革新系知事が政権を交代してきたという歴史がある。保革を統合した「オール沖縄」という、県内各団体・組織の大同団結を呼びかける大看板を発明した翁長知事ではあったが、「オール沖縄」が政治的命題とした辺野古新基地の建設に反対し日本中央政府との対立が深まるにつれて、沖縄県をめぐる政治の構図は単純化してしまえば「オール沖縄」対「内閣=政府与党」であることが浮き彫りとなった。翁長知事が市議としても県議としても自民党に属していたという出自を持っていながらも、その県政では革新色が強まっていかざるを得なくなったのだ。


 IR・カジノは、中央政府の自民党政権が日本経済再生の特効薬として打ち出す政策である。結果的に翁長県政は、中央政府に対して対立する革新としての立場にあったため、仲井眞前知事が推し進めていた沖縄県へのIR誘致活動は、いったん途絶した。本年11月の県知事選挙によって再び保守系の沖縄県知事が誕生すれば、IRを沖縄県に誘致しようとする活動は再開すると予想される。

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